<CROSSBEAT vol.3-vol.4 1990>

アンド・オルソー・ザ・トゥリーズ・インタビュー


カヴァーも今までどおりやったら、やっぱりヒットしなかった(笑)

独特のネオ・サイケデリックを聴かせるアンド・オルソー・ザ・トゥリーズ

一部の熱狂的ファンを生み出す、その秘密とは何なのか?

インタビュー:永沼佐知子

日本では一部マニアックなファン層に指示されているアンド・オルソー・ザ・トゥリーズ。彼ら独特のネ
オ・サイケデリックなサウンドは、その世界が好きな人には充分堪能できるものだが、しかし逆にそ
れ故に今一つ、伸び悩んでいたのも事実である。
つまり、自分たちのまわりに大きな壁を作ってしまい、その中に入れる人は受け入れ、そうでない人
は、近づくことすらできない、いつの間にかそういった図式ができ上がっていたのである。それは今
回日本発売されることになった「フェアウェル・トゥ・ザ・シェイド」でも変わってない。ここではそんな彼
らにその世界が形づくられるまでの過程、新作を中心に聞いてみた。サイモン(Vo.)とジャスティン(G)
のインタビュー。



-あなた達の作品は、常にウスターシャーのホームタウンで書かれているわけですが、最初の
2作がその土地柄や環境と至極密に結びついていたのに比べ、前作「The Millpond Years」
からは、より解放的で多面的な広がりが出てきているようですね。

Simon(以下、S):そうだね。『Virus Meadow』を書いていた頃までは、ほとんど一度も国外へ出たこと
がなかったんだ。でも、そのあとヨーロッパ・ツアーを行うようになってからは、活動範囲と共に視野
の広がりが出てきて、それが音楽的にも精神的にも何らかの形で作品に反映されるようになったん
だと思う。


‐その分、使用楽器やアレンジも華やかさを増し、今作は、とても緻密かつ変化に富んだ作品
に仕上がっているようですが。


Justin(以下、J):うん。"ペア・トゥリー"をはじめ、いくつかの曲は、非常に凝った音作りになっているね
。かと思うと、"ホース・フェア"のようなとてもシンプルな曲が入っていたりね。
S:でも、意図的に変化をつけようとしたわけじゃないんだ。出来上がってみると、そうなってたって感
じでね。ま
た、これはもしかしたら歌詞的な面からかも知れないけど、前作は僕にとって、全ての曲
が結びつきをもっていたんだ。だから、全体として非常に完結性のある作品だったと思う。
その点、今回は、アイディアがあちこち行き交いながら漂っているって感じがする。

‐確かに、素敵な雰囲気がありますね。

S:うん。もっとリラックスしてるっていうのかな。リスナーにも、聴く際に今までの作品ほどの集中力を
強要しないと思う。僕自身、このアルバムなら、聴きながらでも他の事に手をつけられるしね。でも、
前作はそういうわけにはいかなかった。一度かけたら、座って聴く以外、同時に何かをするって事が
できなかったんだ。だから、今作は、もっと自由な雰囲気があると思う。それと、もう少し軽くなってい
ると思うんだ。


-ところで、あなたは歌詞を書く際、大抵、自分自身で空想の地や映像や雰囲気や設定をクリ
エイトしているようですが、それらは同時に、遠い過去の世界に遡っている場合が多いですよ
ね。なぜ、そういう方向に向かうのだと思いますか。やはり、ほとんど自然以外は回りに何もな
いような古い田舎の土地に住んでいるという環境そのものが、現実と過去との符合を生み、
同化してしまうからでしょうか。それらは特に、ヴィクトリア朝時代の英文学に展開される世界
を想い起こさせますが。


S:なぜそういう風になるのか僕にもわからないんだ。まず、歌詞のほとんどは、僕のイマジネーション
や潜在意識の深層部から発せられていて、実際に起こっていることや、見聞きした事柄を歌にしてい
るのではない。というのも、僕は回りにただ自然があるだけの寂しい片田舎に暮らしているわけだか
ら、自ずとその孤立した雰囲気の中で創作していくことになる。また、実際、僕たちの住んでいる家
(屋敷?)は大変古くてね。だから、そこからも古い時代にタイム・ワープしたような感覚が生まれるん
だと思うよ。そして、また多くのアイディアは、目覚めと眠りの中間的な精神状態の中から生じてくる
んだ。つまり、一度目覚めた後に、再び眠りに引き込まれていった時に見る夢のようなものからね。
それは、とてもありありとしていて、そこで感じるエモーションや目に映る色などは、現実以上の不思
議なリアリティを帯びているんだよ。グレーというより白と黒って感じで。
それから......これは、言及すべきかどうかわからないけど......僕は、人間が、誰か他の既にこの世に
いない人の記憶を見つけ出すことは可能だと思っているんだ。つまり、どこかに全ての人々の魂が漂
っている場所があって、人間がその魂の中に入り込んでいき、その人々が生きていた時代の同じ記
憶を体験することができるんじゃないかって。僕の場合、日常的な雑念を一掃して、詩のアイディアを
考えている時、こういう世界が見えてくるんだけど......、これって少しヘヴィだね。
また、ヴィクトリア朝時代の小説に関しては、僕たちの詩や音の雰囲気を語る際、よく引き合いに出さ
れるんだけど、自分たちでは気づきもしなかったんだ。そう人に言われるまで、そこら辺の作品を読
んだことさえなかったし。だから、意識してのことではなく、ほんの偶然の一致なんだよ。

‐今回、音楽的な面で特に表現したかったこととかはありますか。

J:何も特別、中心となるアイディアがあったわけではないんだ。ひとつ、それぞれの曲に共通するも
のがあるとすれば、新たな作曲の方法によって生まれているという点かな。それは、僕が一昨年、
"Lady D'Arbanville"のリライトに苦悩の数ヶ月を費やしたことから始まるんだ。僕たちは、今までカヴァ
ー・ヴァージョンをやったことがなかったからね。他の人々の作品を学んだことがなかった僕にとって
、それは全く新たな経験だった。そして、オリジナルを自分なりの解釈と感性で表現しようと、いろん
なアイディアを加えながら、曲作りにおける様々な方法をトライしているうちに、結果的に原曲とは非
常に異なる作品が生まれたんだ。それは、大変興味深い作業だったよ。そして、そういう新しい作曲
方法が、このアルバムには反映されていると思う。つまり、曲のもとになるアイディアに異なるリズム
やフィーリングを被せていくうち、つづれ織りのように新たな作風がクリエイトされ、それがこのアルバ
ムの音楽性を形づくっていったんだ。

‐また、"Lady D'Arbanville"のカヴァー・シングルは、やりようによってはヒット作に結びつく可
能性もあった訳で、事実、最初は原曲に忠実なものをつくろうと試みたそうですが。


S:そうなんだ。僕は、あの曲がとても好きだったし、いいカヴァー・ヴァージョンを作れる気がしていた
。それに、オリジナルがベスト10ヒットになったんだから、僕たちのだってそれなりにって期待は持っ
ていたんだ。ところが、原曲と同じフォーマットでやってみると、それが全然うまくいかなくて、いろいろ
試みた結果、やっぱり完全に僕たち自身のスタイルでやるのが最善だってことに気づいたんだよ。
そして、当然、ヒット・シングルは生まれなかった(笑)。
J:それどころか、全ての商業的可能性を抜き取ってしまったもんね(笑)。イギリスの音楽プレスなん
ておののいていたよ。リズムがないなんて耐えられないって感じで。コンピューターの完璧なリズム
に慣れ親しんでる最近の人々の脳には、理解できない代物だったみたいだ。


‐けれど、あなた達の音楽は、流行やシーンなどとは別の空間で唯一無二の個性を放ち続け
ているわけですからね。

S:別に僕たちは、『決して他の何物にも影響は受けない。自分たちのやり方でやる。』なんてことを
豪語しているつもりはないんだ。多くのグループが流行に伴い変化していく必然性は理解できるし、
僕たちだって、他の大都市とかに生活していたら、自動的に影響を受けていたかも知れないからね。
でも、僕たちの住んでいる環境は明らかに異なるわけだし、トゥリーズの音楽はだからこそ生まれた
ものだ。イギリスのジャーナリストの目には、僕たちがもったいぶった存在に映るようだけど、僕たち
にしてみれば、ただ自分たちがごく自然と思うことをやっているまでなんだ。


Special thanks to dayseye-san.


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