<Linernotes- Farewell To The Shade- Jpn. Edition>


(敬称略)

イングランド南西部のウースターシャー(バーミンガムに近い)に活動の中心を置く、アンド・オルソー・
ザ・トゥリーズの音楽性をあえてひと言で形容するとすれば、それは"現在を過去や幻想が生きてい
る音楽"と言えるだろうか。普通、こうしたメランコリックでミステリアスな香りを持つサウンドに対して
、日本では英国風ネオ・サイケデリックといったような形容がなされることは多いのだが、そうした言
い回しは彼らの音楽の一面を具体的に示しているにも関わらず、決して彼らの本質的全貌を示すに
は、あまりに安易すぎやしないかと僕には思われて仕方がない。やっている本人達ももちろんだが、
こうしたサウンド・スタイルの固定化よりも彼らの音楽にとって重要なのは様々なイメージによって
作られていく詩的で映像的な感覚である。

インクバロウ周辺の田園地帯に住むサイモン・ジョーンズ、その弟であるジャスティン・ジョーンズ、そ
して友人であるニック・ハーヴァスとその兄であるグレアム・ハーヴァスの4人によってアンド・オルソ
ー・ザ・トゥリーズが結成されたのは、今から12年前の1978年のことである。そして'81年に至り、キュ
アーが全英ツアーのサポート・バンドを探していることを知り、デモ・テープをロバート・スミスに送った
ところ、彼が大変気に入り、アンド・オルソー・ザ・トゥリーズは前座を務め、一部の注目を浴びること
になっていく。

また、'81年にはマイク・ヘッジスとロバート・スミスのプロデュースによる6曲入りの自主制作カセット
「From Under The Hill」(後にこの6曲は別テイクでファースト・アルバムにも収録)を発表するが、82年
には、脱退したグレアムに代わり、彼らのファンであったスティーヴン・バロウズが加入、その後現在
に至るまで、このライン・アップで活動を続けている。
83年末、キュアーのローレンス・トルハーストのプロデュースによるデビュー7インチ「Shantell」を発表。
このシングルでの、神聖さと悲哀感の同居した完成度の高さは、その後の彼らの音楽の出発点と
なった。84年3月にはデビューLP「And Also The Trees」をやはりローレンスの協力で発表するが、
キュアーからのつながりから、
とかく彼らとキュアーとの比較的見方をする周囲の視線にうんざりした
彼らは、その後はキュアーとの関わりを一切断つことになっていく。

地元ウースターシャーで日常を送る彼らにとって、彼らの音楽的テーマの中軸をなす一種のロマン主
義的傾向や幻想感覚は、ロンドンのような都市に住む人々の持っている、身近な伝統的色合いであ
るが、過去や幻想は現在においては、あくまでも過去は過去、幻想は幻想であるといった感覚とは
異なり、決して過去の過ぎ去ってしまった遺物ではない。そしてそれは、民間伝承や不条理な幻想
世界がいまだに日常生活を見回した時にあちこちでうごめいているこの地方の村的感覚に起因する
ものである。少なくとも彼らにとっては、この地方での生活はその時間感覚や風景感覚において、都
市でのそれとは、かなり隔ったものを所有しているはずだ。
そしてこのあたりの感覚のずれが災いしてか、彼らに対するイギリスのプレスの眼は残念ながら、決
して温かいものではなかった。だが、それゆえ、逆にヨーロッパ各地や日本での彼らに対する見方は
好意的であり、評価も著しく高い。

そうした中で、'85年には名作シングル「A Room Lives In Lucy」、'86年には傑作LP「Virus Meadow」
を発表して、ヨーロッパへの活路を見出した彼らだが、その後も地道に3枚のアルバム「The Evening
of The 24th」('87年)、「The Millpond Years」('88年)、「Farewell To The Shade」('89年)や4枚のシングル
等を発表して独自のペースと音楽性の高さを持続させて今日に至っている。
サイモンの詩を読み上げるようなヴォーカル、ジャスティンの七色の変化を持つギターを中心に詩的で
映像的な世界を、まるでタペストリーのように織り上げていく彼らに、はやり、すたりという言葉はまっ
たく無縁だろう。
                                                     (石川真一)


ロンドンから西に特急で2時間ほど行き、大都市バーミンガムの裾を南下すると間もなく果樹園が一面
に広がり、目前には広大なマルヴァーン丘陵が迫っている。それが典型的な田園地帯ウースターシャ
ーの風景だろう。バーミンガムでジョーンズ家の次男と三男として生まれたサイモン・ヒューとジャステ
ィン・ジョーンズは、小学生の頃に現在も両親と一緒に暮らしている築500年と言われる煉瓦造りのファ
ーム・ハウスへと越して来たのだが、何分辺りは教会すらなくあるのは鬱蒼とした荒地、浅い池、そし
て囲むように人々を守り、威圧する木々...10分も車を走らせればもう通勤圏内というのに、隔たれてい
るとしかいいようのないその家で、詩と旋律が兄弟から離れなくなったのはパンク・ムーヴメントが国
の末端まで行き渡った1978年頃のことである。

ジャスティンの同級生だったインクベロウ村のニック・ハーヴァスとその兄グレアムの誘いで、2組の兄
弟バンドとしてアンド・オルソー・ザ・トゥリーズを結成した。
途中グレアムはメンバーとの折り合いが悪く'82年に脱退したが、バンドがライヴ活動を開始した頃から
の熱狂的ファンでやはりウースターシャー出身のスティーヴン・バロウズが代わりにベーシストとして
加入、現在のラインナップとなった。(ちなみにグレアムは音楽から離れたあと、家具職人として生計を
立てている)。

レコード・デヴュー後のディスコグラフィーは前出の通りだが、本アルバムは1989年6月初頭よりUB40
がバーミンガムに所有するスタジオ、ジ・アバタールで2ケ月の期間で制作された。プロデューサー兼
ミキサーのマーク・ティベナムは、元ナイチンゲールズのロバート・ロイド&ザ・ニュー・フォーシーズン
ズのキーボード奏者で、本アルバムにも音に軽さと華やかさを添えている。本国イギリスでは昨年10
月にリリースされ、翌11月には約1ケ月の日程で既に人気の定着しているフランスを中心に西ドイツ、
オーストリア、ベルギーを回り、これまでのライヴと選曲も一新した意欲的なツアーだったが、本国では
ロンドンで1回。未だにあまり活発な活動を自分の国で行えないのは、彼等の表現するイギリス然とし
た色合いや過去とも幻想ともつかぬ世界が、何かあまりに身近すぎて、一方遠すぎて過小評価されて
いるからかも知れない。

残念ながら商業的には副業を手放せずにいるようで、サイモンは商業写真家、ジャスティンは製図工
、スティーヴンはバーミンガム近郊のレコード店勤務、ドラマーのニックだけは昨年の2月よりロンドン
に上京したグラフィック・デザイナーとして会社勤めをしている。ただ各自の副業が直接・間接的にバン
ドに活かされているのは確かで、殆んどのジャケット及びプロモート用写真は、"サイモン・クレイン"こと
サイモンが、'88年までのスリーヴ・デザインは若干の写真も含み"ファブリツィオ&ファブリツィオ"ことニ
ックが手がけており、本アルバムにおいてはジョーンズ兄弟の共作である。
サイモンは、ニコンのマニュアル専用一眼レフを愛用しているが、なんと学生時代に貰った両親の香
港みやげだというから、副業とはいえ何が将来を決めるか分からない。

今回裏ジャケットに引用され、"フェアウェル・トゥ・ザ・シェイド"というタイトルのもととなった詩は「白楊
樹は刈られたり、さらば木陰よ/涼しき桂廊のささやきよ...」と続く、18世紀の英国詩人ウィリアム・ク
ーパー(1731-1800)の「ポプラ畑」という作品。相次ぐ身内の不幸や意図せぬ恋人との離別、宗教的不
安に加え生まれつきの鬱病気質からの発狂を繰り返しながらも、失われし自然や過ぎ行く過去を偲び
綴った詩人の姿勢に共感を覚えたのか、或いは詩人その人に自分を見たのか。サイモン自身もかな
りの文学青年でトマス・ハーディやオルダス・ハクスレイを愛読し、写真家ではウジェーヌ・アジェが、画
家ではムンクが好きという。音楽では、ニック・ケイヴは昔から「アイドル」だそうで、クライム・アンド・シ
ティ・ソリューション、スワンズ等暗黒物(?)からアイレス・イン・ギャザ、D・シルヴィアンはメンバー共通
の好みらしく、ジョーンズ兄弟は何故かマカロニ・ウェスタンもののサントラやティム・バックレーに「ひど
く影響されている」との事。またジャズやクラシックもこよなく愛すサイモンと映画のサントラに触発され
るというジャスティンの嗜好は、ワルツや変拍子が圧倒的に多いトゥリーズの曲にだいぶ反映している
ようだ。

トゥリーズの作品は、題材が私達には異文化の要素が強かったり、時間の感覚も現実を超越している
物が多い。トップの'プリンス・ルパート'は17世紀の清教徒革命で処刑されたチャールズ1世の甥ルパ
ートが、国王軍として戦ううち窮地に追いやられた場面について。ラストの'アンカー・ヤード'について
はサイモン自身に解説してもらった。

「昔、イギリスの漁村では、70-80年くらい前まで魚のわた抜きは女の仕事で、おばさんやら女の子が
組になって波止場を切りもりしていた。漁船がその日の「収穫」を積んで浜に戻り、塩を山盛りにした
大きなバットに魚をあけて、バットは長い台に乗せられて、巨大なテーブルを取り囲むようにずらっと"
わた抜き女"が出てきてサバの内臓を取り除くんだ。わた抜きするナイフは物凄く鋭いうえ、サバは急
いで処理しなくちゃいけないから(訳注「鯖の生き腐り」ですね)女達は指を切らないように、また塩で
肌を痛めないように、指に布を巻いて保護したんだ。この曲の「ヤード」というのは、建物に隣接してい
て、壁に囲まれてはいるけど屋根の無い所のこと。女達が作業をしている架空の場所で「錨の庭」と
呼ぶことにした。単語同士の響きも好きだけど、僕は関連の無い2つの言葉が合体して生じる新しい意
味合いも気に入っている。雨風構わず女達は一年中わた抜きをしたんだけど、かなりの重労働だった
はず。体の弱い人には絶対つとまらなかったと思うよ。彼女達は今じゃ殆んど使われなくなった言葉
や方言で、せいぜい歌でも歌ってきつい仕事を乗り切っていたんだろうね。この歌は、今はひっそりと
廃れてしまった「庭」を久しぶりに訪れた女の話で...「庭」に戻ってきたのは女の魂かも知れないし、若
い頃そこで働いていた老女かも知れない。
或いは自分の内なる前世に呼ばれてさまよい歩いている女かも知れないけど...ここで描きたかったの
は、眠りについてしまった様に見える「庭」が今も生き続けている、という事。忘れられたはずのわた取
り歌は、永遠に壁にこだまして、風に乗って波に漂って、死んだ女達は塩と砂に生まれ変わって今も
「錨の庭」にいるんだ。」

また、次回シングル・カット予定の'ミスフォーチュンズ'はサド侯爵の本をもとにジャスティンが原案を出
し、サイモンが"悪の誘惑"や人生の暗い部分に焦点を当てた内容にリライトしたという。マクベスは言
うに如かり、「過去」は情景描写を手腕とするサイモンの心を喚起する、終わりの無いドラマなのだろう
か。最後に冒頭のファーム・ハウスの話へ戻るが、今回の表・裏ジャケットはサイモンの書斎で、また
近頃のプロモート用写真も殆んど自宅内で撮影されていることから、500年もの間時の移り変わりを物
言わず傍観していた「家」が、言葉を綴る彼を触発する一番の張本人かも知れない。「木の中では、杉
が一番好き。枝が風に揺れるざあざあという音が、大好きなんだ。」そして木々もまた、彼の感性を鼓
舞する原動力なのだろう。
                                                       (秋山幸子)



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