<Newswave vol.13 Mar. 1988>


満ちて干きゆく 紺青緑の潮の上
砂利を吸い込み
潮風の溜息を吐く
切り藁が 荒れた田野から吹き上がり
乾いた土地に漂い
門のあいだを ぬっていく...
坑道の塀を...
齢重ねた男の髭をぬっていく
野生の李にからみつき...
老夫の髭をぬっていく
たどってゆくのは
頁岩の街に通じる くぼんだ道

牛追いの魂は永遠に漂い
荒れた刈地を耕しつ
たぐる 侘しい 道程は
頁岩の街へとつづく 路の間に
乾いた褐色の瞳を かすめ行き
薔薇の実からむ 柵を越え
切り藁踊る 頁岩の街

赤銅色の日暮と 蜘蛛の巣雲の下
影をくぐって 枯木に舞う
丘にひきずる 荷車越えて
汗ばみ肉刺のつぶれた掌に こびりつく...
釘で打たれた袋がはためく...
黒く塗られた壁から
殻竿を打つ手に招かれ...
黒く塗られた壁から 
頁岩の街の 呻く心臓へと はいりこむ

牛追いは 振り返り 風の中へと歩み行く
不断の海へと 向かいゆく
切り藁が 頁岩の街へ落ちるころ
寂しい道程を 鋤いていく
機械は呻き 金槌は猛り狂う
頁岩の街に 夜の帷の降りるころ
頁岩の街に 切り藁の落ちるころ
("Shaletown" - translated lyrics)


「音沙汰の無いバンド」というと、徐々に落ちぶれて人知れず解散しているか、ただ話題にのぼらな
いだけで、実はしっかりと働いている場合とがあるが、アンド・オルソー・ザ・トゥリーズの場合、明らか
に後者の口である。そこで、昨年末から活動ペースが再び上昇してきた彼らの、デビュー前から現在
に至るまでの回顧と、中心人物であるサイモン・ヒュー・ジョーンズをとりまくさまざまな環境を総括して
みる。

T田舎の不思議
アンド・オールソー・ザ・トゥリーズにつきものの"ウースターシャー州インクベロウ村出身"のウースタ
ーシャーとは、イギリスは西の都バーミンガムのすぐ下にある州で畑作地、ウースター大聖堂とマル
バーン丘陵、そして元祖ウースターソースと陶器くらいしかない地方都市である。インクベロウはバー
ミンガムに続く国道沿いにある村で、日本で想像する程超過疎地ではなく、大きな宿もあれば教会も
2つある。メンバーのうち、ジョーンズ兄弟は小学生の時近隣のもっと小さい"教会のない村"に越し、
まだサイモンは築500年の家に両親と住んでいるそうで、現在のインクベロウは「昔はとてもいい所だ
ったが、最近は家が立ち並びはじめてかつての面影を失いつつある」そうだ。ちなみに現在の村がど
の程度田舎かというと、「ここで何週間も他人に会わないことさえある。一日中窓から外を眺めてたと
しても、同じ人がせいぜい10人行ったり来たりしているだけ」だそうだ。

Uすべてはパンクから
AATTの結成は1978年だが、当時18歳のサイモン・ヒュー(Vo.)とその弟ジャスティン(G)のジョーンズ
兄弟に、ニック・ヘイヴァス(Dr)という現メンバー、それにヘイヴァスの兄弟がベースといった、近隣で
音楽をやりたそうなのを集めたらどうしてもこうなったというのが一目瞭然な4人編成で、時期も時期
、当時の事をサイモンは「みんなパンクのせいだ...もう楽器を神様のように弾けなくったって、良くなっ
たんだ。そうしたら音楽が急に身近なもののように思えてきた」という。「初めてジョー(ジャスティン)が
ちょっとギターを弾ける様になった時、本当に感動したよ。だってこいつには楽器なんかできっこない
って思ってたから。」弟だって馬鹿ではないのだから、楽器のひとつ位操れるようになったからといっ
てさして不思議ではないのだが、本人は未だにハーモニカも満足に吹けないと断言しているので、そ
の感動はひとしおだったのだろう。今では天分の感性に鍛錬が加わり、聴く者を硬直させる程だが。

V結成はしたものの
彼らは結成後ライヴをひとまず行い、'81年には6曲入のカセットLP"From Under The Hill"を自主制作し
た。1巻1ポンドで700巻ほどさばけたそうで、音もジャケットも良質のものだった。(が、現在は入手不
可能)。それと相まって、レスター近郊のラフバラ大学でキュアのサポートをするという縁があり、前途
は開けたと思った拍子に、メンバー間の不和から'82年ベーシストが脱退、替わって現在のスティーヴ
ン・バロウズが加わった。そして、'84年春、今度はハマースミスオデオン2回を含む全英ツアーという
形でキュアのサポートを再び行い、前後して発表したデビュー7"EP'Shantell'('83年秋)、1st LP 'And
Also The Trees'('84.3)、7"と12"EP'The Secret Sea'('84.6)の3作は、どれもキュアのローレンス・トルハー
ストがプロデュースしている。しかし皮肉ながら、5年間のキャリアがレコードとして実を結んだ結果は
、キュアの名のバックアップでしか成り立たない不幸なものとなってしまった。かくしてキュアの切れ目
が運の切れ目、バンドは一旦解散寸前まで陥り、翌年2月にリリースされた12"EP'A Room Lives In
Lucy'でとり直したものの、次の2nd LP'Virus Meadow'が'86年7月に発表される迄の約1年半の間には
、暗雲のたちこめていた時期もあったという。

W 大陸の地を踏んで
2度目の解散の危機を免れるきっかけとなったのは、国外での予期せぬ熱烈な反応であろう。バンド
8年目にしてはじめて踏んだ大陸の地はドイツとスイス、'86年1月のことだった。本国ではもはや忘れ
去られつつある状態だったその頃、求めてくる対象を海外で再確認できたのは彼らにとって大きな心
の支えとなった。そして徐々にフランス、イタリア、オランダ、ベルギーと足を運び、現在ではパリとロ
ーザンヌ(スイス)で特に歓迎されているようだ。「それでもまだ殆どの国で知られていないので」その
段階ではまだイギリス(と日本!)でしか、作品を発表していなかった彼らは、最初の3枚のEPが廃盤に
なった事を契機に、コンピレーションで海外、特にヨーロッパへ曲を紹介しようと思い、'86年末にシン
グル・コンピレーションLP、'87年9月には14曲入のベストCDを双方フランスで発表した。尚この間に
12"EP'The Critical Distance'とライブLPを'87年5月に相次いでリリースし、同年末の最新12"EP
'Shaletown'へと至るわけである。
レコードはデビューから現在まで一貫してReflex Recordsからリリースされ('Shantell'のみReflex改名前
のレーベル名、Future Recordsとなっているが、この頃はチェリー・レッドの傘下にあった)、'Slow Pulse
Boy'(LP別テイク)と'Scarlet Arch'(EP同テイク)を含むレーベルのオムニバスLP'A Reflex Compilation'
が'85年春に制作されている。

X A Retrospective 1983-19984
<初期>
以上がこれまでの概略である。作品のうち作詞は後述の2点を除きすべてサイモン・ヒュー・ジョーン
ズ、曲はほとんど4人の合作であるVで触れた初期3作はとかくキュアの影響下にあると思われがち
だが、トルハーストの若干浮き気味なエレクトリック・アレンジが点々と加えられているだけである。
−少女の墓標に捧げた鎮魂のワルツ'Shantell'とそのB面でライヴの定番'Wallpaper Dying'からして
基本は全く別物である。1st LPでは何といってもサイモン売りの絶叫が若々しく適度に爆発しており、
初めて針を降ろした時'So This Is Silence'での怒号に予期せぬ人は戸惑うかも知れない。少年が抱く
抽象的な混乱や甘い感傷を、ひと枠歪めた比喩で詞にする一方細やかなギターと忠実なリズムで音
にしており、近頃の底抜けに暗い雰囲気と比べ、明るくシンプル、和やかでさえある。
AATTの音はバンドの成長と共に緊張感を募らせていくが、その点では'Twilight Pool'はリズムマシー
ンの無機質さとフレットレス気味のベースラインに加え、機械処理された声とギター展開の冷たいバラ
ンスが絶妙な、初期の傑作である。
2nd EP ' The Secret Sea'は他曲と唯一イメージの違うエレクトリック・ポップ・ナンバーであるが、2曲入
7"と5曲入でそのうち3曲がライヴの12"がある。尚日本では唯一1st LPが'85年9月に上記12"からタイト
ル曲と'There Were No Bounds'を加えた10曲入の特別編集盤で、SMSより「沈黙の宴」という強烈な
邦題で出ている。(対訳・ライナーノートは永沼佐知子女史の筆による)。

Y A Retrospective 1985-1986
<中期>
「本当は世の中に順応してないんだろうな。僕はみんながどんな風に遊びに出かけたり、用を足した
り、友達とふざけ合ったり、喧嘩したりするのかわからない。どうしてそういうことで楽しめるのか、本
当にわからないんだ。」
人間的成長で歪んだ既成の価値観や現実への疑問が淘汰されていき、反面非日常的な純粋さが
増し、現在の抽象に触れることから過去の具象、民間伝承の世界への執着に移った詞の変化は
サイモン自身も詩人として認めるところである。まずその現れとして3rd EP'A Room Lives In Lucy'の
B面'There was a man of double deed 'の詞はジョーンズ兄弟が「子供の頃祖母がよく話してくれた
民間詩の一節」とオリジナルでない事を明らかにしている通り、まりつき歌から派生したイギリス童謡
で、庭に蒔かれた種が次々と辻褄の合わない過程を踏み、ついには死に至る不条理極まりない歌だ
が、英国民俗詩研究家オピイ夫妻によると「語り聞かされた幼少の頃には何とも恐ろしい印象を覚え
ながらも、成人してなお口ずさんでしまう不思議な魅力をもった韻文」であり、この解説はそのままジ
ョーンズ兄弟にもあてはまることだろう。又、'Virus Meadow'では、足の向くまま流浪し、帰らぬ人とな
る少年の歌'Jack'も殆ど童謡の世界だが、実は物語ほど不条理な魂なものはないのだ。AATTは
そんな物語のような過去の世界、かつてペストで死滅した彼らの小村の姿を想起し、描かれた'Virus
Meadow'、崩れた彫像の女が凍てつく星空の下を蠢き廻る'Headless Clay Woman'、待ちわびていた
男と再会するやつれた女の姿が帰還した亡霊との抱擁をほのめかす'Vincent Craine'など、おおよそ
歌謡一般として唄われる詞ではなく、綴られる詩へ、これまで以上に緻密で重く、無駄のないリズム
を薄氷がひび割れていくように刻まれる、美しいギターによる端正な曲をのせるようになった。
 
−君達の曲は大げさで暗いね。
サイモン「そんなこと...そんなことないよ」
−楽しい曲とかやらないの?
「そういうのも確かに必要だよ、でも人の好き好きでいろんな曲があっていいんじゃないの?ハッピー
な曲は他の人がやればいいんだ。」
−でも成功したいんだろ?
「そりゃそうさ」

然し、商業的成功を望む以前に、イギリス人が母国語で聴くにも少々つらいものになったことは否定
できない。だが、'Virus Meadow'のスリーヴ写真の、見事なまでに美しく腐った果物のひと盛りに注ぐ
黄昏時の日差しが象徴するが如く、聴く者の瞼の裏に色が映えるような曲になって、はじめて、彼ら
の本領は発揮されたのだ。3rd EPからプロデューサーも兼エンジニアに替わり、自己を確立した時期
である。尚蛇足だが、最近'A Room...'はイギリスで再発された。又、「詩とナーサリーライム」というカ
セットブックの第3巻で'There Was A Man of Double Deed'の訳「裏切りの男がおりまして」と、童謡の
原曲が挿入されているので、一聴を勧める。

Z A Retrospective 1986-1987
<近年>
前記のとおり、海外ツアーで気運を盛り返したAATTは、'86年末と'87年9月に若干趣向の違うコンピ
レーションLP(CD)を仏で発表している。先に出た"Et Aussi Les Arbres'は1st EPから1曲、2nd 12"EPか
ら2曲、3rd EPから全曲、1st LPから2曲、'85年にAbstract Magazine #5に挿入されていた'Maps in Her
Wrists & Arms'の別テイクを含む全9曲のシングル集、又CD 'A Retropective 1983-1986'の方は同じく
'Shantell'に1st LPから5曲、3rd EPから2曲、2nd LPから6曲と全発表曲なので、完全に仏市場の両LP
のカップリングと考えていいだろう。
又、ライヴ活動の集大成としてのLP'The Evening of 24th'は '86年10月に行われたフランス〜スイスツ
アーのうち、24日ローザンヌでの一夜を収めたものである。レコードではリズムボックスで処理してい
るドラムスのパートをすべて生でこなす'Twilight Pool'と'Slow Pulse Boy'の静から動へかわる瞬間の
緊張感はライヴならではのもので、随所で聞かれるサイモンの絶叫もさることながら、彼の糸が切れ
た凧寸前のヴォーカル展開にどこまでも食いついていく完璧な演奏からは"俺がしっかりしないとみん
な崩れる"と言わんばかりの各インスト陣の剛念が背後から伝わり、その場に居合わせぬ者まで寸
分たる気の緩みを与えぬどうにも止まらないステージを披露している。前出' The Secret Sea'B面の
'84年当時の簡素な演奏と聴き比べて欲しい。
4th EP ' The Critical Distance'は'86年冬イタリアで録音されたもので、発表前サイモンは「これ迄のも
のと比べ、とてもハードで、ラジオとか絶対かけそうにない曲だけど、自分にとっては大変意味のある
ものだ。でも僕は反応がこわい。聴きづらいのはわかっているけど重要な曲なんだ...少なくとも僕に
とっては」と、率直な不安をもらしているが、評価は他に任せるとして、この12"EPでは初めて詞・曲を
他のアーティストと合作している。'Scythe & Spade'の詞と' The Renegade'の曲に参加しているジョン・
ホブマンは、'80年初頭よく共演したサポート・バンドの元メンバーで、バンドの旧友でもあり、特にジョ
ーとは昔同じ学校に通っていて今でも時折詩や手紙をやり取りしている仲だそうだ。

[ 頁岩の街
最新作'Shaletown'では、前作のハードさから再び情緒豊かな作風に戻り、硬直の美を痛感したが、
バーミンガムでは4日間の日程で行われた録音は前作から1年近く経っており、作品の荘厳さの裏に
はそれなりの精神的苦痛も伴っていたようで、曲が出来上がる前の夏頃には「フレーズは次々と浮
かぶものの、一つとなってまとまらない相当なフラストレーション」をバンド全体で味わったそうである
。さてここで、Shaletown−頁岩の街−について少々触れよう。タイトル曲'Shaletown'の詞は、サイモン
が南西ウェールズの海沿いに数日滞在した時何点か書いた詞が基になっている。頁岩(シェール)は
ウェールズでとれる石油の代替品で、海岸の工業地帯で精製され工業油となるが、石油よりはるか
に質が劣るにも関わらず、燃料資源に乏しいイギリスでは未だに生産されており、さながら海辺の村
と工場の"岩杭哀歌"といった風情の色をくっきり言化した詞には"頁岩の街"南西ウェールズの哀愁が
力強い曲に合わせて醸し出されている。ここまでくるともう彼の詞は、歌謡の域には到底収まりきれ
るものではないが、EP発表よりかなり前、上記の原形にあたる散文詩をフランスのある雑誌に寄稿
するなど、詩作活動も行っていることから納得がいく。

\ 馬鹿をさらすのは嫌だ
今年で結成10年になるAATTだが、ヴィデオは今のところない。ところが、世相に合わせるつもりだっ
たのか、昨年秋、即ちEP発売に併せて'Shaletown'のクリップを作る話が出たそうだ。構想時サイモン
は、「今まで特別プロモヴィデオに興味もなかったし、自分たちのを作るとなるとちょっと抵抗もあった
。お金をかけても結局満足のいくものができなかったりすると困るんだけど、必要経費はふんぎりよく
使わなくちゃね!とりあえずヴィデオの中で芝居じみたことや大げさなことはしないつもりだ。自分たち
の馬鹿をさらす真似だけはしたくないからね、みんながやっているみたいなのはね」と思わずキュア
の'ワイ・キャント・アイ・ビー・ユー'を彷彿させる発言をしているが、その話は彼の意気込みも空しく
次回(無期)延期となってしまった。理由はおのずと知れるであろう、かなり金銭的な事を気に病んで
いるので。

] 対偶は如何に
今ではプレスに取り上げられることもあまりなくなった彼らだが、海外進出を機に反応の渋いイギリス
での活動は大分減ったようである。昨年ロンドンでのライヴは1回きりだったが、何とマイティ・レモン・
ドロップスとペイル・ファウンテンズの前座という、責任者の顔が見たくなるような組み合わせで、まあ
トリのドロップス目当てできた客も度肝を抜かれただろうが、酷評も著しくメロディメイカー誌で"ヴォー
カルは唄うスキャナーズ"とまで書かれ、スキャナーズ呼ばわりされた本人はいたく傷ついたそうであ
る。プレスに載らず、載ればたたかれる、この繰り返しで、もはやイギリスにこれ以上理解者を求める
のは難しいかも知れない。その反面、昨年海外で一段と羽をひろげた年となった。4月末にはパリを
含むフランスで3回、6月下旬にはドイツ〜ベルギーで8回、これが9夜中8回ステージということで、普
通のライヴバンドなら軽くこなせそうなスケジュールだが、「ただでさえ1回のステージで死にそうなの
に」というサイモンの不安が激当たりし、彼は途中で体調を崩し、最終日には声が枯れてしまい、帰
国後2週間以上、殆ど家から出なかったそうである。ちなみにこのツアーのメインはPILだった。どちら
にしても誰がどういう意図でカップリングをするのか、私は知りたい。
とりあえず、いずれもメンバーが納得のいく反応は得られたようで、7月には彼らにとって「忘れられな
いほど素晴らしいステージとなった」というローザンヌでの2度にわたるフェスティバル出演があった。
思いもよらぬ観客の温かい反応と演奏の成功により、同時進行していた新曲制作の労をねぎらうに
は格好の満足感を得たそうである。今後ますますヨーロッパへの眼差しは熱くなることであろう。

]T副業
「バンドだけではやっていけないので、僕達はみんな他に職を持っている。」
それではどんな仕事をやっているのかというと、ニックはグラフィック・デザイナー、サイモンはフォトグ
ラファーで、ちなみにジョーは製図工だそうである。どれも今いち生活の支えにしては不安な仕事の
ような気もするが、バンドが印刷美術業で固まっているということは、当然自分の事は自分でしてい
る、ということである。AATTのスリーヴ・デザインにはすべてFabrizio & Fabrizio という、人とも会社と
もつかぬ名がクレジットされているが、これ即ちニックの職名なのである。白黒のものから彩色作品
まで、毎回音全体を忠実に表現しており、妙に凝ったことをせず、地道で耽美な作風は絵画としても
鑑賞に値する。尚ジャケットに使われている写真も、大抵サイモンかニックの撮影したもので、例をあ
げるとサイモンの作品は'Shantell'(盤のレーベル部分に刷られている枯れた花)、'Virus Meadow'、
'The Critical Distance'、'A Retrospective 1983-1986'の各写真、ニックはデビューLP、'A Room Lives In
Lucy'、'Et Aussi Et Arbres'を撮っている。比べてみると若干趣きを異にしている。

]U 写真家として
サイモン・ヒュー・ジョーンズがフォトグラファーである事は先に述べたが、写真家としてじゃ19世紀末
から20世紀初頭にパリ周辺の風景を撮り綴った元祖、ウジェーヌ・アジェが好きだそうだ。アジェの作
品は、写真が芸術となる以前の当時、資料として画家や図書館に売る為、撮ったパリの人々や建物
、その内装や地方の廃城、小道の草木等で、単なる写実的資料とは言い切れない迫力があり、世に
出てそろそろ1世紀を数えようとしている退色した美に彼は「いたく触発される」そうだ。
4th LPで写真家としてクレジットされている'サイモン・クレイン'は当然彼の偽名ということになるが、流
れの滞った泥川に転がるデス・マスク(というより美術の時間に必ず作らされる自分の顔の面)が宙を
にらんでいる例の写真は、昨年の4月初めジョーンズ家の前で撮られたものだ。文明らしいものは電
線しか見当たらない、何とも荒涼とした小村の春である。またCDジャケットの漆黒に浮かぶ黄色い花
は、ある夏の夜、庭の草木をスポットライトで浮かび上がらせ、日中の如く自宅の辺りを友人と遊歩し
た時、普段バンドが練習したり、曲を作ったりする部屋の壁際に咲いていたヒマワリを撮ったもので、
夜空はそのまま、黒い天井に散らばる星を数えることさえできた楽しい夕べだったという。
呑気風流極まりない田園の夏、こんな豪農の屋敷のような所にホーム(ファーム?)ステイでもしたら
不摂生で崩れた体調など即日治癒することだろう。然しそれなら何故、あれ程張りつめた詩や曲が
その屋敷から生まれるのだろう。

]V 座右の銘
彼らは曲や詞、さらには数少ないプレス・フォトなどから、よくエドガー・アラン・ポーやオスカー・ワイル
ドなど耽美派が好みそうな作家が引き合いに出されるが、サイモンに関して言えば、愛読する作家
は双方どちらでもなく、英文豪トマス・ハーディだという。
ハーディの作品は大好きで、おおよそ目を通しているそうだが、一番好きなのはナスターシャ・キンス
キー出演で有名な「テス」だそうだ。「ハーディの作品はどれも素晴らしいけど、時として落ち込むもの
もある。最近僕は「日陰者ジェード」を読み終わったけど、かなり落ち込んだよ、何週間もね−あれは
相当気がしっかりしてる時でなければ、読まない方がいいね。」ハーディの作品は、誰かが不幸にな
るか、死ぬしかないと済まされないメロドラマが多く、過剰な文明から遮断された日々を送るこの詩人
が空想をめぐらし、幻想に浸るには十分な古い時代の世界が展開している。

]W 日々是れ好日
「家で詞や手紙を書いたり、本を読んだりする時はいつもラジオで昔の曲をかける番組を聴いている
。レコードやテープなら大抵クラシック、でなければジャズか映画音楽かな。曲に人の声が入ってたり
すると、ものが書けないんだ。」
AATTの曲には、ワルツや変拍子(6/8拍子、7/8拍子など)、さらには室内楽に通ずる曲が割に見られ
るが、サイモンの日常生活を、100字でまとめると以上に尽きるらしく、曲作りにクラシックの流暢な響
きや古き良き時代のジャズ、シャッフルする変拍子が影響を与えていることは間違いなさそうだ。
小鳥のさえずりに厳しかった冬から春への高揚を覚え、初夏には庭の池に遊ぶ家鴨の親子の数を
数え、草を食む乳牛を窓から眺め、夏は薔薇やジキタリスなどさまざまな花に囲まれ、次々と落ちる
野りんごの花に晩夏の別れを惜しみ、秋は近づく冬を森から聞こえる熊や狼の遠吠えに察し、冬将
軍に備えて薪割りに精を出し、移ろいやすい晩秋の空に幽かな午後の陽のぬくもりを感じる、こうし
て自然の只中へ隠遁するに近い日々を淡々と送るサイモン、今や都会の狂気というのはどこにでも
転がっている風景となったが、田舎で、いわゆるそれが普通となった世の中に順応できず、幻想に逃
避していく狂気は果たして海千山千の者が近づくことのできない純粋な芸術を生むに至った。
都会では決して見えない木霊や地霊、生きとし生けるものの声を解体し、形にするのは、環境が与え
た彼らの天分だ。そして、異文化にいてこそ、前知識や偏見抜きに彼らを具眼の士として迎えること
のできる私達は、案外幸せな親派だろう。
'Shaletown'録音後、すぐに4週間の日程で新譜制作に入った、アンド・オルソー・ザ・トゥリーズの次な
る"彩色画"は如何様であるか、もうすぐわかるだろう。

参考文献:
「詩とナーサリーライム」第三巻(ラボ教育センター)
ハーディ「トマス・ハーディ短編集」(新潮文庫)
アール・ヴィヴァン18、19号「アジェT・U」
コンサイス世界地名辞典(三省堂)

文: 東 四月 
ライヴ写真・協力: 永沼佐知子


Biography

Discography

Lyrics

Disc Review

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